自治体の自律性

自治体が地域における一箇の独立した政治の基礎単位たりうるのは、なんといっても首長と議会の直接公選にあります。


しかし、反面、公選の首長がいるにもかかわらず、否、むしろ職員機構を傘下にもつ独任の首長であるがゆえに、国の各省庁は、この首長を国の政策の実施機関として使いうるならば、便利で安上が第1章自治行政の独自性りです。


国の省庁の人的規模が他の先進諸国と比較して小さいのは、国の仕事を自治体に委任して、あるいは自治体を通して実施できるからです。


自治体は多種多量の仕事を行っているという意味では「大きな地方政府」なのです。


しかし、そのことは決して「大きな権限」の主体であることと同義ではありません。


根強い行政的集権体制の持続は第二次臨調の行革でもまったくといってよいほど手がつけられなかったのです。


自治体は相変わらず、国との折衝業務のなかで、ささやかなりとも、いかにしてその意向を反映させていくか、その政治的技量が問われつづけているといってよいでしょう。


「学校拒否」について 3

父親は初めのうちは無関心でいたが、週3日、1年のうち3分の1以上も登校しないという状態になったので、なんとか手をうとうと努力しましたがどうにもならない、教師も何回となく家庭訪問をして朝ひっばり出そうとし、友だちも呼び出しに行くけれども、ますます、自分の部屋に閉じこもって、しまいには自室をベニア板ではりつけて、窓からしか人の出入ができないようにしてしまう。


昼間は静かに何かをしているが、夕方から元気になり、翌日は行くと言うが結局朝になると出かけられない。


夏休などは元気が出て、海へ行ったり、たまには友だちと出かけたりする。


このような状況はだいたい決まったコースです。


すなわち外目には何も変わったところのない良い子どもで、勉強も結構良くでき、友だちづきあいも特に変わったところのない、まさに平凡で、普通の、どちらかというときまじめな、頭のむしろ良いという子どもの像が浮かんできます。


きまじめで、普通で、一見社交的で……ということがむしろ問題なのかもしれません。


なぜかというと、この子どもは教育の熱心な子どもの養育にも心をくだく、いわゆる中流の教育のある父母の家庭で育っていく間に、自分なりの生活目標や、上級学校進学の理想などを持ってぎます。

「学校拒否」について 2

第4は不安定型、神経症型で、表面なんのことはないようにみえながら自分ではひどく悩んでいて、何かのきっかけで家庭内暴力のような非行をひきおこすものです。


次にこのような型をきめることの功罪ですが、実際は子どもが育っていく間に、発達の段階によって、前記のいろいろな型が移行しているわけですから、年齢の因子を考えねば意味がないでしょう。


さらに、このような型はなぜできたのかというと、むしろそれは親子関係、子ども同士の人間関係によるものであります。石塚孝一氏によると、これらをまとめていうと、子どもの生来の素因、性格、発達過程の問題、親子関係、人間関係というように多方面からのかかわりのなかで学校拒否というひとつの症状をあらわしているのであり、それに伴って、家庭内暴力もその発生の原因は実にさまざまな場合が想定されます。


ここで3つの例をあげてみましょう。


第1の例は中学校1年のころから特別理由なく学校を休むようになりました。


もっとも初めのうちは原因となるものがあり、登校時間になると頭痛、腹痛などが現れてきて、親も病気かもしれないと病院をあちこちしてるいうちに、どうもそれが原因ではないと感じだして、手を変え品を変えて、なだめたりすかしたりしても、どうしても朝になると部屋に閉じこもって出てこない。

「学校拒否」について

学校拒否については最近ではだれでも知らない者がないくらいに社会の話題になっているので、皆さんはよく知っておられることと思います。


またどうすればよいかということについてもいろいろの本を読んでおられるでしょう。


私は簡単に次に記したような区別を考えておくのが都合が良いと思います。


まず衰弱型です。


体質的にも自律神経症状などがあり、元気がなく、幼いときから何か自分でやる意欲がすくないタイプです。


第2に消極型です。


やる意欲はあるが、引っこみ思案で、他人がプッシュしないと自発的にやりません。


登校は何かのきっかけで気がすすまないということになります。


第3に積極型です。


自分なりの考え方がはっきりしているのだが、親の期待の重圧のなかで、迷い、その積極性をのばすときを待っているというわけで、学校を休むのは、それなりの意志がある。

自閉症について 7

知恵遅れのある自閉傾向児と知恵遅れのないケースとではその指導の効果はずいぶん異なるので、あくまでも、基本としては、自閉傾向などというレッテルをはることではなくて、その子ども各々の特徴をとらえて、ひとりひとり異なった子どもとして教育するという視点は、もっとも大切なことではないでしょうか。


見通し、すなわち予後についてはどうでしょうか。


自閉症が問題になってからわが国でも20年もたつので、いわゆる予後調査もかなり広範に行われています。


それによると、一般に知恵遅れを伴っていないものはかなり良く社会適応を示している例があります。


概数約4分の1ぐらいでしょう。


しかし残りのもの、すなわち、かなり病的なものは教育や治療を十分に行ってもその予後は必ずしも良くないので、今後とも、情緒障害児の特殊学級や、特殊な治療施設の充実が望まれています。


ずっとさきのことになるかもしれませんが、自閉症の研究が進めば、あるいは、生物化学的な治療の方法もある程度成功してくるかもしれません。


現にそのような方向で薬の研究をしているひともいます、しかし現在のところでは、そのような医学的治療に関してはまだまだ試験的な仮説の段階を越えてはいないのが実際です。

自閉症について 6

ところが、インテリ的気風、気ぐらいの高い、いわば誇り高いエリートの家庭のそろっているところではどうも、このような雑な方法は通用しないのです。


なんでもひとつ育児論をぶたねぽ気がすまないという親がそろっていては、うっかりしたことを学校の先生がするわけにもいかないでしょう。


そういう意味なのです。


考えてみると、自閉傾向が育っていく土壌はどうもこのあとで言ったような地域や家庭の状況のなかにあるのではないでしょうか。


しかし前にも述べたように、自閉症自体の発生機構はいまだ不明のところが多いので、今のべたようなごとは、自閉症の本態に迫る、というよりも、いわばその周辺にある自閉傾向児について言ったものであるのかもしれません。


しかし、幼児、学童の多くの自閉傾向児はこの周辺に存在しているのであって、その意味では共通の問題点を示しているものといえるのでありましょう。


自閉症は現在では、その子どもの認知、感覚機構のもともと持っているアンバランスという視点から解明されてきているので、取り扱いの点からも、それほど楽観的にみることはできないし、子どもに対する治療教育も必要なケースのあることは念頭におく必要がありましょう。

自閉症について 5

親子だけの縦関係のなかで、なんでも子どもの欲求を先取りして育てられていた状況よりも、子ども同士の横関係で、社会的な接触の意味を感じとることも必要になりましょう。


いわば昔だったら、自然に与えられていた人間関係の基礎工作を、現代では意識的につくりだしていかねばならないのかもしれもせん。


しかし、以上のような子ども集団の対応のほかに、親そのものにはどのようにアプローチすればよいのでしょうか。


さきにあげた幼稚園で、同時にいろいろの話のときに、他の先生の言ったことばもまた印象的です。


それはさきの体罰とリンチのことを言った先生は東京のある下町風の地域社会という立地条件にある幼稚園なのですが、もうひとりの先生は、私のところでは、とても、そのようなことはできません、という意見なのです。


そのように言われた先生は、山の手のほうにある幼稚園の先生なのです。


すなわち、下町という隣り近所オープンで、互いにあけすけに話しあい、なんとなくゴチャゴチャとまざりあって、良い意味でよその家庭の子どもの面倒までみるような気風のあるいわば雑貨屋さん的とでもいう雰囲気の地域ならば、少々手あらなことなどもいっこう気にしません。

ごみ問題への関心

こんにちは。


今回はごみ問題について少し書いていきたいと思います。


近年は環境問題に対する意識が高まり、リサイクルトナーを利用したり、ごみを出すときに燃えるごみと燃えないごみとを分別するには日常生活のルールになっています。


あるアンケートでは、「決められたとおりに分別している」が83%を占めていました。


その反面、こうした協力を頭から否定する人は1%にも過ぎません。


また、ごみ問題に関心を持つ人の大多数は分別収集に協力的で、関心のない人は非協力的であるという相関関係も明瞭に出ています。


このことは、ごみ問題においては他者、つまり企業や行政の責任を議論するだけでよいというのではありません。


問題改善の努力に自分自身も関わっていかなければならないということが、人びとによってよく自覚されていることのあかしでしょう。


自閉症について 4

ある意味で、それだけゆとりができてきたのかもしれません。


親の高学歴の傾向も一役買っているでしょう。


育児やしつけの評論家の先生がいろいろなことをいうことも関係しているのかもしれません。


なかには「母原病」などといって、子どもを悪くするのは親だということを強く印象づけることで、親の不安をかき立てている傾向もありましょう。


さらに、子どもの数が減少して、幼いときから子ども同士の横の関係がうまく育ってきていないので、兄弟同士で互いにいがみあったり仲良くしたりして、社会生活の練習をすることがなくなったのも原因のひとつでしょう。


したがって、幼児の集団保育の場であらためて、親子の肌のふれあいや、もってまわったむずかしい理屈をぬきにして、ある程度感じたまま、またその場のすなおな感情の表現として、子どもをたたくことも必要でしょう。


それによって子どもが、変に年齢不相応に自己反省を強いられることも少なくなりましょう。

自閉症について 3

私がかつてある幼稚園で自閉的傾向児について話しあったときに、そこのベテランの先生が次のような面白い表現で話しているのを記憶しています。


それは自閉傾向の子どもには、体罰とリンチが良いというのです。


ずいぶん乱暴な表現で、いまどき体罰やリンチを看板にした教育ができるはずはありませんが、これは別の言い方をするならば、スキンシップと子ども同士の働きかけのことです。


前者は教師が子どもと肌でふれあうことであり、後者は子どもの集団の横の関係です。


現在の社会ではこの両方ともにとかく欠ける傾向があるのはご承知のとおりでしょう。


子どもを育てる場合に、母親はいろいろの場面でしかろうか、しかるまいかと自問自答します。


沢山ある育児書を読んでいったいどうすれば良いしつけができるかいつも悩んでいます。


さてしからねばならないときになると、考えた末に、たたくこともどなることもせずに、じっと我慢するという、まるでハムレット型の親が多くなっています。